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≪丸山ダム インプレッション≫
戦後初、本格的に大型機械を導入して施工された大ダムです。雰囲気が静岡県の佐久間ダムと近いものがあり、重力式コンクリートダムの持つ魅力を存分に楽しむことが出来ます。佐久間ダムよりも展望に関しては非常に恵まれており、嵩上げによって現在の姿が失われてしまうことは非常に残念です。(画像をクリックすると拡大されます) |
≪丸山ダム ポイント≫
【戦後の遺構】 ダムに周囲には建設当時に使われた施設の一部がいまだに残っています。写真は骨材散布塔と呼ばれる骨材プラントにあった設備。骨材がフルイにかけられて、大きさごとに5種類に分けられます。それぞれ分けられたものが骨材散布塔の上から入れられます。散布塔が無ければ落下の衝撃で骨材が割れて、大きさが変わってしまうことになってしまいます。散布塔の下にはベルトコンベアーがあり、コンクリート製造設備へと運ばれる仕掛けになっています。 |
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ゲートは非常用洪水吐5門。その他の放流設備は発電所からの放流によるものだけのようです。右岸側に発電所への取水設備があり、そこから丸山発電所と新丸山発電所を経て木曾川に放流されます。計画高水量 6,600m3/sのうち 1,800m3/sを調節し、最大放流量を 4,800m3/sにする予定で建設されましたが、1983年(昭和58年)の豪雨により最大で約8,200m3/sもの流入量を記録し、ただし書き操作により約7,800m3/sの放流量を記録して結果として下流に大きな被害を出すことになりました。 |
丸山ダムの直下に管理所があります。昭和58年の豪雨の際には、管理所にも流木等が飛んできてかなりの被害が及んだようです。堤体からかなりの距離を置いていますが、記録的な豪雨の際はこの距離でも飛来物があるようです。 |
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丸山ダムの横からの姿。ダム本体と導流部がやわらかい局面で構成されています。導流壁やゲートや天端など一部に角が使われていて、硬さと柔らかさでメリハリがあります。ゲート支柱の上部の円弧の形が特徴的で全体的にはやわらかさを演出しています。愛知県の岩倉ダムが規模は違いますが似たような雰囲気です。 |
下流の様子。木曽川はすぐに右側に曲がっています。ダムのある付近は蘇水峡という峡谷になっていて景勝地になっています。 |
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天端の様子。車は入ることは出来ません。歩いて見学することが出来ます。天端は車両は入れませんが左岸からも右岸からも車道は通じています。平成20年のダム協会写真コンテストの最優秀賞の写真がこのダムを撮ったものですが、夜はライトアップされているようです。 |
ダム湖は丸山蘇水湖という名前がつけられています。地図上では国道418号線が笠置ダムまで通じていますが、そのほとんどは不通区間です。酷道マニアの間では有名な国道ですが、嵩上げが終了するとこの国道は必然的に水没する運命にあります。(画像をクリックすると拡大されます) |
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治水の役割を持つダムですが、発電の役割も持つために見た目には水位が高めです。写真の水位はほぼ常時満水位です。これよりも上は洪水調節のための余裕ということになります。 |
左岸側に建設当時のケーブルクレーンの橋脚の跡が残されています。元々は関西電力(戦前は大同電力、日本発送電)の計画していた発電用ダムに治水容量を上乗せして計画段階で堤高を高くした経緯があります。ちなみにダムの費用ですが、治水容量分上乗せして余分にかかった費用を国が負担したそうです。施工も関西電力が行なったためか橋脚には関西電力のマークが付されています。赤白のラインは新丸山ダムの計画ラインのようです。 |
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取水口。手前が新丸山発電所、奥が丸山発電所の取水口です。堤体から100mほど離れた右岸側にあります。本川から少し離れた場所に取水口があるためか、取水口にしては割りときれいな印象があります。 |
丸山発電所。最大出力125,000kWを誇る規模の発電所です。ちなみに新丸山発電所は最大出力63,00kWを誇ります。取水口付近に丸山発電所の案内看板がありますが、新丸山発電所の詳細が分からなかったのが残念です。 |
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丸山発電所の少し下流に旧八百津水力発電所があり、現在は資料館として一般開放されています。重要文化財に指定されたことで、ぼろぼろだった外壁等を修復することができて塗りなおしたそうです。 |
中には当時使われていた横軸フランシス水車と発電機が置いてあり、分解されているために内部構造を勉強することが出来ます。他にも手動クレーン(厳密には手動で動かすものはクレーンではありません)や、カウンターウェイトが備えられた窓枠、工具の形がペイントされた工具置きなど、工業系の学校出身者には萌えるものが多くあります。 |
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母線室。発電機から送られた電気はここにある変圧器で高電圧化されてから外へと送られます。古い設備の間に案内用のパネルが置いてあり、写真や表などが多くて分かりやすい解説です。ここでは設備の説明だけでなく、木曾川の水力発電の歴史についても詳細をすることができます。 |
旧発電所の外側からの眺め。写真はちょうど水圧鉄管が通っていた場所から発電所を眺めたもの。わずかながら錆びた水圧鉄管が見えます。旧発電所は建屋だけでなく、発電所までの水路設備もいくらか残されています。 |
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旧発電所の上部水槽。旧発電所で停電などで発電機が急停止した場合は水圧を逃がすための開放された水槽やタンクが必要になります。スクリーンがぼろぼろになっていますが、全体的に比較的きれいな状態で保存されています。普通の上部水槽もなかなか見学できるものではありませんので、この地を訪れた機会に是非ともご覧になるようおすすめします。(勿論安全第一で) |
旧発電所は放水口から河水面(洪水していない時)まで7mの余裕があったため、その落差を利用して放水口発電所が設けられていました。資料館の方のお話によると放水口発電所が出来る以前は旧発電所から放水された水は対岸まで勢いよく届くほどの勢いだったようです。 また発電所の対岸付近に錦織網場という旧跡があり、ここはかつて上流で切られた材木が集められてイカダが組まれた場所です。イカダはここから下流の犬山や名古屋方面に送られました。 |
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八百津町は日本のシンドラーと呼ばれた杉原千畝の出身地であり、ダムの近くには人道の丘公園が整備されています。杉原千畝記念館では彼が多くの人の命を救った功績について数多くの資料を見ることができます。 |
人道の丘公園から見た八百津町の風景。下流はすでに兼山ダムのダム湖になっています。河と山と町が織り成す絶景です。 |
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