ダム名 烏山頭ダム (うさんとうだむ)
形 式 ロックフィル 官田渓にかかるダム
所 在 台湾台南市官田区 地 図
目 的 灌漑、上水道、発電 管理 嘉南農田水利会
印象(5段階) 眺望(5段階) 観光(5段階) 交通(3段階) 堤 体 積 11,020,000 m3
☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆ 総貯水容量 ?m3
着工年 1920年 堤 高 56.0 m 有効貯水容量 83,670,000 m3
竣工年 1930年 堤頂長 1273.0 m 体 積 能 力 #VALUE!
着工→竣工期間 10年 縦横比 22.73 体積有効能力 7.592558984
関連リンク 日本ダム協会 ダム便覧”烏山頭ダム”  烏山頭水庫風景區

上記表は日本ダム協会のホームページにある”ダム便覧”を参考に作成されています。
縦横比=堤頂長/堤高 この数値が大きいほど横長です。1より小さいと、いわゆる縦長ダムです。
体積能力=総貯水容量/堤体積 1m3の堤体材料でどれだけの水を支えているかを表す数値です。
                       この数値が大きいほど、少ない堤体材料で多くの水を支えていることになります。
                       体積有効能力は有効貯水容量で割った数値です。
縦横比、体積能力、体積有効能力は私の個人的な興味で割り出した数値であり、土木の世界で使われているものではありません。
着工→竣工期間は着工、竣工年の単純な引き算しかしていません。着工、竣工ともに年度での数値なので実際の期間とは誤差があります。


≪烏山頭ダムのある町の紹介&ダムまでの道≫
 台南市は文字通り台湾の南部にある大都市です。台北とは風景が少し異なり、南国の植物が生えていて熱帯にきたことが実感できるでしょう。台湾は親日家も多いようで、台北市は半分は日本語ではないかとおもうほどですが、台南ぐらいまで来るとそこまで日本語のできる方が多いわけではなさそうです。
 烏山頭ダムへは、私自身にとって最も確実だと思われる方法を記します。台湾新幹線に乗車し、台南駅を目指します。(嘉義駅でもよいと思いますが、タクシーがつかまるか不明)。駅に着いたらタクシーの運転手さんを一日借り切ります。烏山頭ダムに偶然居合わせていた日本人の方は1800NT$で一日借りられたそうです。烏山頭ダムはかなり広く、見どころが点在しているために車で移動されることをすすめます。時間に余裕があれば歩いて探索なさってください。


≪烏山頭ダム インプレッション≫
 ダムの姿そのものはごく普通のアースダムです。ひたすら堤頂長が長く、大阪狭山池や三重の中里ダムよりも長い1273mです。(画像をクリックすると拡大されます)
≪烏山頭ダム ポイント≫
 烏山頭ダムと切っても切り離せないのは八田與一の存在。彼は烏山頭ダム建設に携わった技師ですが、ダムだけではなくダムからの水利事業(嘉南大シュウ、シュウは土へんに川と書きます)、ダムへ水を引き入れるための水路トンネル(烏山頭ダムへは曾文渓からトンネルを経て水を取水しています)などにも携わっています。人間的にも魅力的な人柄だったようで、現在もダム周辺にはさまざまな八田をたたえるものが残されています。写真は放水口近くにある八田技師紀念室で、烏山頭ダムに関する物品も販売されています。


 ダムの左岸側からのダム湖の風景。ダム湖の最も左岸側には余水吐があります。余水吐の途中には吊り橋があり、吊り橋の近くには天壇(資料館)があります。取水口は右岸側にあり、そこから水路へと放水されます。右岸側の下流側には放水口があり、放水する一部の水は噴水になっています。放水設備の二階は八田與一紀念室があり、ダムグッズを買うこともできます。右岸側には浄水場や発電所があります。天端の右岸側には八田與一のお墓や銅像、また建設時に使われた蒸気機関車などが置かれています。(画像をクリックすると拡大されます)
 今回は台湾在住の日本人の方にアテンドしていただきました。(もっちさん多謝!)高速道路で烏山頭ダムの近くまで道路が伸びています。高速道路を下りる手前にも烏山頭水庫への案内表示があるので、間違えることはありませんでした。水庫は本来は貯水池という意味ですが、Damという言葉で置き換えられているのも目にします。構造物としてのダム本体は大バ(バは土へんに覇)という中国語ですが、こちらの国にとってダムというのは堤体ではなく湖のことをさすようです。

 ダムの左岸側にある天壇。中にはダムや水路、発電所などの紹介看板があります。烏山頭ダムが台湾の十大土木遺産に選ばれたことを記念するものや、群馬用水吉岡管理区が訪問したことを記念するものなどがありました。最初にここに入ってダムや用水の大まかなことを学んだ上で、ほかのポイントを目指すのが良いと思いました。
 天壇の近くにある吊り橋。珊瑚橋という名前が付けられていますが、これは烏山頭ダム湖が珊瑚潭という別名を与えられていることによるものと思われます。橋は余水吐の上を通っているためにぜひともここからの風景は見ておいた方が良いです。

 余水吐のダム湖側の風景。余水吐は鉄筋コンクリート製です。最大1500立米毎秒の放流能力があります。余水吐の入り口の広さは120mほどあるそうです。ちなみに余水吐も洪水吐も中国語では溢洪道と表記するようです。
 余水吐の下流側の風景。残念ながら水たたきの部分がどうなっているかはわかりませんでした。グーグルマップで見る限りは水たまりの中に着水するようになっており、一応減勢されているようです。出口は18mまで絞られます。

 余水吐の入り口。カーブを描いていて美しいです。角落としをいれる溝が開いていますが、今も使われているのか不明です。あくまで私の憶測ですが、曾文ダムができる前は水の供給量が不安定だったために、角落としで烏山頭ダムの貯水量を調整していたのかもしれません。
 余水吐と上流側ダム湖のパノラマ写真。ちょうど余水吐のあたりにダム湖に降りる道があるようで、釣り人たちが釣りをしていました。標高の低い場所にダムがあるために烏山頭ダム湖は非常に複雑な形をしているのが、この写真でも感じ取れます。(画像をクリックすると拡大されます)

 余水吐と下流側のパノラマ写真。とてもゆるやかにすぼまりながら、下流へと水を吐き出すような形をしています。(画像をクリックすると拡大されます)
 管理所。私が訪れたのが土曜日だったからかもしれませんが無人でした。建物の形も風情があってとても素敵です。

 左岸側のダムの下流側の風景。烏山頭ダムより下流側というのは本当に平野が広がっています。当時の八田技師がダムの材料が近くで採れない(原石山はダムから10kmほど離れた大内庄)にも関わらず、この地を選んで大きなダムをつくろうというのは大変な決意だったのかと思いました。(画像をクリックすると拡大されます)
 左岸側からみた堰堤。車両は立ち入り禁止です。歩行者は問題なく歩くことができます。

 烏山頭ダムの放水口ですが、珊瑚飛瀑という名前が与えられています。八田與一の妻であった外代樹が身を投げた場所でもあります。放水する水の一部は写真の右のように噴水にして、きれいな景観を生み出しています。写真左の放水設備の左上にある桃色の建物が八田技師紀念室になります。(画像をクリックすると拡大されます)
 放水路の下流側。このような風景がここから下流一帯に網の目のように張り巡らされています。ダムができる前にはこれほど豊かな水が生まれようとは考えられなかったでしょう。この地域は昔は水を井戸からくみ上げていて、井戸水中のヒ素を原因とする烏脚病という風土病の患者が大変多かったそうです。(今でも苦しまれている方がいらっしゃいます)

 ひときわ目をひく噴水ですが、平壓塔という名前が付けられています。景観上の演出家と思いましたが、名前から察するに圧力を平均化させるための仕掛けのようです。放水バルブの急激な開閉など、何らかの原因で急に高くなった水圧をこの平壓塔で逃がしているものと思われます。サージタンクの働きですね。
 放水口の裏側(ダム湖側)に回り込むことができます。写真の後ろにあるのが烏山頭ダムの本堤です。取水した水はこのような水圧鉄管を経て、下流側に送水されます。このような風景が一般見学客に開放されているのがうれしいですね。

 水圧鉄管のすぐ近くには別の放水口が見えます。資料に載っていなかったのか私の中国語理解度が足りなかったのか、この物件に関しては私の憶測のみです。水路と接していないダム直下の田畑に水を送るための設備か、あるいはダムの水位を下げるときのための設備かと思われます。様々な資料中の仮排水トンネルの風景とも何となく似ています。はっきりしたことは分かりません。
 ダムの右岸側中腹からの下流側の風景。台湾でも南の方に位置するために、植物が熱帯の植物です。ダム本堤には草が生い茂っていますが、現地の日本語のパンフレットによると半水力沖積式土石ダムという形式で、ロックフィルダムの一種です。現在では岩の大きさ、粘土の種類をより分けた上で、ダムに敷いていくわけですが、この当時は岩を含んだ土を堤体部に敷き、そこに水をかけることで岩と泥をよりわける手法を用いています。水の力でダムの中心には泥が、ダムの外側には岩が残るようにしてダムを建設していきます。ダムの中心には水を含んだ粘土が残りますが水は排水して、中心部の粘土は上から水牛などを用いてしめ固めていきます。(画像をクリックすると拡大されます)

 殉工碑。ダムや水路建設に携わって亡くなった方やご遺族の方々の名前がのせられています。当時の八田は日本人にも台湾人にも分け隔てなく公平に接し、事故で亡くなった台湾人のご遺族の方にも台湾式の弔意を示したそうです。建設中には関東大震災もあり資金難もありましたが、八田の人柄が工事の継続へと大きく人々を動かしたこともあらゆる場面で語り継がれています。
 右岸側天端からの下流側の眺め。この近くに八田與一の像があり、八田はこの風景が水で潤うことを描きながら、ダム建設に携わったのかと感慨にひたりました。写真右の青い建造物は浄水施設です。ダムの中腹あたりの高さにあり、取水塔からではなく別口からポンプでくみ上げているように見受けられました。(不思議な鉄管がダム湖から浄水施設に走っていました)。写真右の民家のような建物は水利会の事務所か集会所のようです。(画像をクリックすると拡大されます)

 ダムの右岸側からの天端の風景。こちら側からも車両は立入できません。天端はこの位置から見るとうねっています。このダムができて以来、台湾では4回ほど大きな地震に見舞われていますが、決壊することなくダムの設計、建造がいかに優秀なものであったか分かります。
 建設で使われた蒸気機関車。ダム建設時にこの機関車で粘土や岩などを運び、ダムの建設地点でこれらを下に落とします。八田はこれら建設に使われる重機をアメリカで調達し、ダム建設の効率を飛躍的に向上させました。機関車の後に見えるのはラジアルゲートで、これは烏山頭ダムのものではなく用水路の水門のものだと思われます。三年輪作という言葉も紹介されていました。ダムの水だけでは水が足りないために、3年周期で稲(水が常に必要)、サトウキビ(初期には水が必要)、雑穀(水をそれほど必要としない)と区分けを行って栽培し、水の送り方を工夫することで受益地の生産性を大幅に向上させました。

 烏山頭ダムの右岸側にある取水塔。見るからに新しいものなので、近年できたものだと思われます。いつできたのか、わかりません。
 右岸天端にある八田與一の像。かつての蒋介石の時代に日本のものが次々と壊されていくなかで、この像は地元の有志の方たちに守られていた話があります。この像を元の場所に設置する際にも、鋳型をとって万が一のことに備えたという話も聞いたことがあります。仕事で滞在していた中レキ(レキは土へんに歴)で八田與一のことについて台湾の方に聞いてみましたが、教科書に出てくる人物として知っているそうです。

 右岸側にある烏山頭発電所。烏山頭ダムができた当時はもちろんなく、2002年に発電を開始したそうです。総工費はおよそ10億円で、縦軸カプラン水車で最大出力8,750キロワットの電力を生み出しています。
 近年オープンした八田與一記念公園。ダム建設時の宿舎が再現されていますが、こちらでも八田與一の歴史展示、ダム建設のアニメ、お土産の販売などなどされています。ダムグッズは八田技師紀念館にあるものと同じものが売られていました。

 八田與一記念公園のオープンにあわせて、烏山頭ダムの前を南北に走る道路は”八田路”という名前が付けられました。海外で日本人の名前が道路の名前に付けられたというのは非常に珍しいことだと思います。
 八田技師紀念館で手に入れた烏山頭ダムグッズの一部。中国語の烏山頭ダムの資料にも日本語訳のパンフレットをつけてくれるので、楽しく読むことができます。DVDや切手、八田與一のミニチュア像のペーパーホルダーなども売られています。ほとんどのものを買い揃えましたが、2,000NT$あれば事足ります。


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